この頃の出来事
第2次吉田内閣が成立
前年のカスリーン台風
この年はアイオン台風と
立て続けに大型台風の被害
NHK
第1回のど自慢コンクール
放送スタート
「文化の日」が登場
岡晴夫
「憧れのハワイ航路」
笠置シズ子
「東京ブギウギ」等が
大ヒット
カリフォルニア州アナハイム市
「ディズニーランド」が誕生
「モーレツからビューティフルへ」の言葉を唱え、経済的、精神的なゆとりを提案。
JR(旧国鉄)
「ディスカバージャパン」を展開
先代小野寺平蔵(おのでら へいぞう)が、現北上市鍛冶町に「塩七仏壇店」を創業。名古屋や山形の腕の達つ職人の協力を得て製造販売の店を始めました。当時は大量生産のようなシステムもありませんから、製造する事があたりまえでしたし、そうしなければ売る商品すら揃えられなかった時代でした。
昭和30年代後半には秋田へ仏壇職人を貸し出し、川連仏壇(秋田)の製造の基礎のお手伝いもさせていただきました。
北上のお客様に製品の確かさを認めて頂き、さらに花巻のお客様への対応のため、45年「塩七花巻支店」を開店。

昭和23年は第2次吉田内閣が成立、前年の「カスリーン台風」。この年はアイオン台風と立て続けに大型の台風が発生し被害も相当な年でした。NHK第1回のど自慢コンクールがスタートしています。
この年の11月3日に「文化の日」が登場しました。歌謡曲では岡晴夫の「憧れのハワイ航路」、笠置シズ子の「東京ブギウギ」等がヒット。昭和30年、アメリカではディズニーランドがカリフォルニア州アナハイム市に最初のテーマパークが誕生。昭和45年は「モーレツからビューティフルへ」の言葉を唱え、経済的、精神的なゆとりを提案。JR(旧国鉄)は「ディスカバージャパン」を展開。
昭和51年
クロネコヤマトの宅急便
ほっかほっか亭がスタート
ロッキード事件
太田裕美
「木綿のハンカチーフ」
子門真人
「およげ!たいやきくん」等がヒット
漢字カナ文字変換日本語の
ワープロが発売!
東京の池袋
超高層ビル「サンシャイン60」が完成
新東京国際空港(現成田国際空港)開港
映画
「サタデー・ナイト・フィーバー」がヒット
本店を「北上バイパス店」に移転し、「株式会社ヤマカ塩七」へと法人化。社長に小野寺昌楠(おのでら まさくす)が就任。
青森県内の農協を中心に展示販売会を開催いたしました。さまざまな触れ合いからお客様を紹介していただき、大変有難いことでございました。おかげさまで、昭和53年に青森県弘前市に「弘前支店を開店させていただきましたが、このあたりから時代は大量生産へと移行してまいります。個人商店が熟練の職人を抱え、端正にひとつひとつ手作りで造りあげること以上に、機械化されたオートメーションが、新しいと感じられた時代です。

ソニーからMDプレーヤー1号機が発売
山形新幹線が開業
仙台市では市営地下鉄
八乙女~泉中央間が開業
水沢支店開店。小野寺昌楠は会長へ就任、小野寺満(おのでら みつる)が三代目社長に就任。日本経済のバブルが弾け、品質の確かさより低価格、低コストな製品へと人々の関心は変化していきます。その波は仏壇製造業界も例外ではありません。仏壇メーカーも次々に海外に進出し、現在では全生産量の8割ほどに達しております。
時代の流れの変化を感じ、創作仏壇の個展を「北上市文化交流センターさくらホール」「奥州市文化会館Zホール」「アイーナ岩手県民情報交流センター」などで開催。
麻生内閣発足
北京オリンピック開催
リーマン・ショック
本店を北上市さくら通りに移転、店名も「塩七仏壇ギャラリー館」へ改め、商品構成を一新。新たに4つの仏壇コーナーを個性別に設け、お客様の求める商品が絞り込み易く工夫されました。
モダン和風テイストの「美gin」シリーズ、シンプルなデザインとお求めやすい価格帯の「美shia」シリーズ。お客様からのご要望で制作されるカスタムメイド「みつ村工房」。現代のリビングやダイニングにマッチする現代仏壇。「手元供養」や「京仏師・石川昇明師」の作品も充実。
ご来店くださるお客様に親しまれる店舗を目指しております。更に、墓石事業へも本格参入。
今後の展開にご期待ください。

気軽に立ち寄って、仏事、お仏壇、お墓のことをご相談いただけるお店、「namuda館 大船渡営業所」を開設。
仏壇・仏具・お墓のことから
法事のことまで、まずはお気軽にお問合せください
- 【塩七 仏壇メモリアル館(盛岡本店)】019-601-3611
- 【塩七 仏壇ギャラリー館(北上総本店)】0197-65-1501